明治維新~文明開化の象徴のような鹿鳴館
先進国に見くびられないように 自国の文化を否定して必死に取り組む姿は
“猿まね”と多くの非難も受けたことは事実としてありますね~
その為に 多くの国民の血税が使われていたことも また事実でしたから
当時の日本人が貧乏のどん底のような暮らしをしていたのですし・・・
そんな犠牲の上に成り立っていた日本国政府は どんな価値感だったのでしょう
西洋諸国の“猿まね”と言われても 日本を一流国として認めてもらうのが
下級武士から成り上がった伊藤博文等の 政治家としての信念だったのでしょう。
多くの政治家が外遊によって 更に意を強く持って取り組んでいた・・・
皇后陛下の“洋装化”への推進も その一端だったようです。
しかし意外なことに明治天皇は そんな皇后の“洋装化”に反対の立場だったんですね
かくして 明治天皇は伊藤博文との面会も避けるようになっていったとのことです
明治天皇の意志に逆らってまで自分の考えを通そうとした伊藤博文
その信念というか 執念というか 凄まじいモノがありますね~