名古屋城・本丸御殿の二期工事で公開されたのは「対面所」と「下御膳所」
ここは内々の対面や宴会場として使われたそうで、装飾も穏やかで生き生きとしています。
作りも表書院よりも格式が上で 天井や欄間にもその違いがはっきり出ています。
対面所の納戸までもが贅を尽くしたものになっているのは
尾張徳川家の豊かさを示しているんでしょうね。
尾張徳川からは将軍は出なかったのですが、御三家筆頭の尾張徳川家
江戸幕府が倹約令を布いても、尾張は倹約だけでは経済が停滞するとして文化高揚を奨励
惜しくも戦災で焼失しましたが、日本の国宝指定・第一号が名古屋城でした。