藺草神社の隣の資料館を向学の為に見学させていただきました。
この辺りは戦国時代の井伊家の歴史の中にも関係深いところであったことを大河ドラマで知りましたが
銅鐸や銅矛も出土され 昔から重要な交通や戦略的な拠点であり 栄えた場所でもあったようです。
藺草神社で見たように琉球藺の他にも 近くでは備後藺(丸藺)も栽培されていたようで、その歴史を
物語るように栽培に使われて道具や糸縒り機や織機が写真と一緒に展示されており、畳表の市場では
多くの買い付け人が集まって 競りも行われていたようです。
そんな話を 資料館のお年寄りが一緒について親切に丁寧に解説していただけました。
「お年はおいくつですか?」と尋ねたら 私と同じ年生まれでした(笑)
この方のお祖父さんやお父さんも藺草作りをされていたそうで、昭和40年頃まで栽培されていたのですが
多くはミカンの栽培に転作されたということでした。 歴史は面白いですね~