「枕草子」に出てくる“畳”の話に続いて それから600年近く後の戦国の時代
こちらも大日本茶道学会の田中会長から教えていただいた“畳”の話です。
上記は秀吉の朱印状・・・でも何が書いてあるのか分からないですね
下記がその内容ですが、とても興味深い内容です。
解説では「畳刺し」という表現を使っていますが、疊刺しは畳職人の呼称ですね。
所蔵する伊阿弥家は足利将軍家の「畳大工」の御用を務めて家柄・・・家柄がある
九代目は禁裏や安土城の畳刺しの御用を承り、「石見守」に任じられ・・・
こうなると それなりの格をいただいていたことになりますね
下記も興味深い解説ですが、秀吉の小田原城攻めは 城を囲んでの兵糧攻め戦法
長丁場を見越して 付け城(有名な石橋山の一夜城)まで作って毎夜のように宴会をしたとか
そこで畳が必要ということで疊刺しも同行したということのようです。
秀吉の一行に いろんな職業の方がついていっている その姿を想像するのも面白いですね