開国~明治維新~文明開化
鎖国だった江戸時代には 日本ならでは独特な和の文化が醸成されていった
それは見方によっては 欧米国家と比べて 文化の後進国家とも捉えられて
明治政府は 積極的に西洋文化を取り入れて行こうとした。
そんな中で着るモノも 「和の着物(和服)」から「西洋の服(洋服)」といった
動きもあって 特に軍隊は洋装を積極的に取り入れていった。
天皇はいち早く洋装となったが 皇后は洋装にするか?どうか?
そう簡単には 行かなかったようだ。
こちらはNHKの「歴史探偵」で取り上げられていて
和文化・産業連携振興協議会で着物業界とも付き合いがあって興味深かった
明治天皇が 他の国の国家元首を見習って 洋装を取り入れていったのとは違い
皇后は明治6年に富岡製糸場を行啓された折も 宮廷の伝統的な装束であり、
髪の結い方も宮廷独特のものであったことが分かる。
上の写真は 内国勧業博覧会の画なのだが 天皇の対して対して
皇后は和装のまま 同行されているのも とても対照的である。
それが下の写真の 病院への見舞い訪問の折には完全に洋装となっている。
いつ、何が切っ掛けで洋装になられたのか?・・・番組が進んでいった