高山陣屋 御役所~御用場を抜けると「帳綴場」があった十二畳の広さで
「御用場」の地役人の下の事務方といった感じであろうか?
下の図面を見ると その位置がよく分かる
そのまま奥へ入っていくと 襖で仕切られ3つの部屋が続いている。
順番も地位の違いを表している。「寺院詰所」「町年寄詰所」「町組頭詰所」
驚くことに 身分が違うからと 出入り口までが違う
江戸時代の身分制度は「士農工商」と教わったが、いやいや そんな単純なものではない。
町組頭の部屋から上座を眺めながら「封建制度」の時代に生まれなくて良かったと思った。
でも これらの畳敷きの部屋が用意されているだけマシかな?